この世の中は平等ではありません。
人生トータルで見れば分かりませんが、少なくともスタート地点は不平等です。
42.195kmのマラソンで例えるならば、10kmの地点でスタートを切らせてもらえる人もいれば、動く歩道の上を走らせてもらえる人、高機能のシューズを履かせてもらえるetc...
恵まれた環境でスタート出来る人がいる一方で、スタート地点よりマイナス10kmの地点からスタートを切らされたり、裸足で走らされたり、ぬかるんだ泥道を走らされたりする人達がいます。
そうです。裕福で良質なコミュニケーションが取れている家庭・整った容姿・健康・明晰な頭脳・運動神経の良さなどの資源を生まれながらに備えている人達がいます。
その一方で人生における色々な資源に恵まれず、つらい幼少期を過ごしその後の人生も苦労し続ける人達がいます。
では、そういった資源に恵まれなかった人が、ずっと人生において不利なままかというと必ずしもそうではありません。
確かに生まれながらに多くの資源を持っている人は、スムーズに人生を歩んで行き易いですし、それはそれでとても素敵な事です。
逆にスタートが不利だった人達はその分、人生を歩んでいく中で自分には無いものを自分で獲得し続け、その喜びを味わう事が出来ます。
誤解を恐れずに言えば、最初に低い所からスタートする分「獲得する楽しみ」を味わいつつ、常に上向きの人生を送る事が出来るのです。
喜びとは無かったものを手に入れた時、マイナスであったものがプラスになった時に特に強く感じられます。
例えば、あなたが満腹の時に食事をしても喜びを感じることは出来ませんが、あなたが空腹であればあるほど感謝して、美味しく味わうことが出来ます。
同じ様に、生まれながらに持っているものが無ければない程、後天的に手に入れたものはそのままストレートに喜びに繋がっていきます。
逆に初めから多くを持っている人は、逆に持っていないものが少ない分、その分新しく何かを手に入れる喜び、感動を味わい難くなるのです。
そして、人生を恵まれた条件でスタートした人も、そうでなかった人もレース(人生)の最終的なゴールは同じです。そうです「死」です。
そして、ゴールである「死」の時期や迎え方は人それぞれです。一人一人が走る人生のコースは異なり、そこで経験する事も人それぞれです。
それであるならば、よく世間一般で言われている何歳でこれをしていなければいけない、逆に何歳になってこれをしているのは恥ずかしい等、一切気にする必要は無いのです。
人の人生はスタート地点から、個々に抱えている事情・成長のペース・ゴール地点がそれぞれに異なります。
誰一人として同じコースを走る人はいません。
大切なことは、自分の人生を生きる事です。
私は東大を卒業し、現在はほぼ自分の希望する生き方を出来ています。
このサイトを使い、自身の成功体験の中から様々な情報をシェアさせて頂きます。
そして1人でも多くの方が、心も経済的にも豊かになれます様祈っております。